天平十七年五月 聖武天皇が紫香楽宮を離れ、恭仁宮を経て平城京に還る。(「続日本紀」より)
三年余りのうちに幕を閉じた紫香楽宮ですが、その後の石山寺の造営に紫香楽宮の貴族の邸宅が移築されるなど、石山寺と紫香楽宮との関係性が「正倉院文書」に残されています。
そして石山寺造営の指導的役割を担ったのが「良弁僧正」です。
良弁-ろうべん(689-773)
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良弁が中心となり、丈六の観音菩薩と両脇侍像が造像されます。灌仏会(かんぶつえ)の主尊も、平城の造仏所で鋳造されて移送されてきますが、超絶した完成度の高さから「金剛誕生釈迦仏立像」はこの折の作ではないかと推測されます。
重要文化財 金剛誕生釈迦仏立像
奈良時代 湖南市・善水寺
紫香楽宮から石山寺へ。夢はさらに続きます。
次回は金勝寺の創建、神像の造像に迫ります。
お楽しみに!!