宮町遺跡全景
「大仏造立の詔(みことのり)」 |
都といえば京都の平安京、奈良の平城京を思い浮かべますが、滋賀県甲賀市信楽町にも都がありました。
その名は「紫香楽宮(しがらきのみや)」
現在、多くの参拝者でにぎわう東大寺にある大仏も、当初紫香楽宮で造立される予定だったのです。
天平十五(743)年、聖武天皇により「大仏造立の詔(みことのり)」が発せられました。
その全文から聖武天皇の並々ならぬ決意がうかがえます。
昭和四十年代に宮町地区で実施された農業基盤整備工事で土器等を伴い出土した巨大な柱根。
宮町遺跡出土品 柱根 二点 甲賀市教育委員会
その後開発された年輪年代測定法により柱根の伐採年が天平十四年(742)と特定。紫香楽宮造営時期に一致しました。
柱根の太さや出土土器の年代から、ここに都にふさわしい大建築物があったことが判明し、宮町遺跡こそ紫香楽宮であることが確定されたのです。
天平十六年(744)3月には内裏の正殿である大安殿が完成し朱雀門も建設。 |
どうしても大仏を造りたかった聖武天皇の生涯がひとめで分かる楽しいスゴロク。
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次回は、聖武天皇没後、近江の地に伝わる美しい神仏の造形を紹介します。
お楽しみに!!