徳川家×樂家

徳川家×樂家

織田信長、豊臣秀吉から少し時代が流れ、徳川の時代へ。
光悦からの縁により、樂家2代常慶は徳川家への出入りを許され、2代将軍秀忠から拝領印を授かったと言われている。

千家と樂家の関係は言うまでもないが、表千家4代江岑宗左が紀州徳川家初代・徳川頼宣に茶頭として仕え、江岑が頼宣に茶を献じた際には、樂家3代道入の葵御紋茶碗が使われ、現在でもその茶碗(白樂葵御紋茶碗)が表千家に伝わっており、その折に使われたと言われる茶入(赤樂葵御紋茶入)が樂家に伝わっている。


3代道入 赤樂葵御紋茶入

紀州徳川家と表千家の深いつながりにより、樂家もその縁を築いていくこととなる。
また紀州徳川家の将軍は非常に茶の湯に熱心だったようで、中でも、10代徳川治寶や11代徳川斉順は城内に窯を築かせて茶碗などを焼かせるほどであった。その際には、表千家のお家元について樂家の当主も赴き、窯の創設や作陶の手伝いを行った。今でも、多くの作品が残っており、治寶ら自身も作陶を楽しんだことがわかる。


紀州徳川家10代 徳川治寶 樂之字

このように様々な縁により、現在の樂家があり、その歴史を読み解いていくと、その時々のドラマがあり面白い。

次回は6月3日公開、「十五代坂倉新兵衛×十五代樂吉左衞門」の「縁」を紹介します。