魯山人は、江戸時代前期に京焼の色絵陶器を大成させた二人の陶工・野々村仁清(生没年不詳)と仁阿弥道八(1783-1855)に私淑していました。特に、仁清が中国趣味に終始していた江戸時代の京焼に一石を投じ、日本固有の美術表現をとり入れた優雅な色絵陶器を完成させたことを高く評価していたといいます。
魯山人は大正4(1925)年の個展から、彼らの名器に学んだ作品を「仁清風」「乾山風」と称して発表するようになりました。
北大路魯山人「乾山風松竹梅頭手付鉢」
1928(昭和3)年制作
石川県九谷焼美術館蔵
魯山人の乾山風作品の中でも、代表作として知られるのが「雲錦鉢」です。器に紅葉と桜を同時に描いた「雲錦鉢」は、江戸時代後期に京都の五条坂を拠点に活躍した名工・仁阿弥道八(1783-1855)が尾形乾山(1663-1743)の作風に影響を受けて創作したものです。
「雲錦」の名は、春の桜を「雲」、秋の紅葉を「錦」に見立てて詠んだ平安時代の歌人・紀貫之の歌「あきのゆふべ たつたがはにながるゝもじぢをば みかどの御めににしきとみたまひ はるのあしたよしの山のさくらは人まろが心には雲かのとのみなむおぼえける」に由来するとされています。
乾山の作には雲錦意匠による盃台が知られていますが、実は雲錦鉢は確認されていません。
こちらは(※1)道八の「雲錦鉢」です。道八は乾山の作風に学びながら、鉢の形を活かして、器のほぼ半分に桜、もう半分を紅葉で彩りました。乾山の作にはなかった雲錦意匠の鉢で、独自の優美な世界を創出したのです。
※1 仁阿弥道八「色絵雲錦鉢」
江戸時代後期(19C 前半)制作
サントリー美術館蔵
では、魯山人は雲錦鉢をどのようにアレンジしたのでしょうか?
※2北大路魯山人「色絵金彩雲錦鉢」
1950(昭和25)年頃制作
八勝館蔵
こちら(※2)が魯山人の「雲錦鉢」です。
魯山人は、乾山も道八も使うことがなかった金彩をほどこしアレンジしています。それはあたかも日本画に見られるような霞を表現しているようにも見えます。注目したいのは、魯山人は刷毛目で金彩をほどこしている点です。ロクロをまわしながら器を廻らすように金彩がほどこされていることが大きな効果を生み出しています。刷毛目金彩で描かれた輪の中に料理を盛り付けると、料理に立体感が生まれます。
器と料理が相俟って造形美を生み出すのです。魯山人の器は、料理を盛り付けてこそ完成するもので、料理の盛り付けどころが実によく考えられていると言われます。
この雲錦鉢の金彩アレンジも、単に器を華やかにしているだけではなく、料理をより美しく、美味しくいただくための演出をねらったものであったのでしょう。
好評開催中の本展も残り10日あまり
お見逃しなく!!