キスリング展監修・村上哲さん解説⑥冴えわたる配色―《ミモザの花束》

キスリング展監修・村上哲さん解説⑥冴えわたる配色―《ミモザの花束》


《ミモザの花束》1946年
油彩・カンヴァス 73.5×60cm
パリ市立近代美術館
Photographie ©Musée d’Art Moderne/Roger Viollet

キスリングは若い頃から花の絵を描き始め、デビュー直後には多くの小品を制作して人気を博した。1920年代になると画面のサイズはより大きくになり、細部に至るまで入念な仕上げが試みられるようになっていく。詩人で批評家のアンドレ・サルモンは、キスリングが描いた花卉画の美的な歩みを次のように述べている。
「花卉画は、彼の多くの作品の中でもとりわけユニークなものである。・・・初期の作品以降のすべての作品には、花弁のそよぎやゆらめき、彩りが見いだされる」。
鮮やかな色のミモザの花は、キスリングが繰り返し描いたお気に入りの画題。無数の黄色い斑点を散りばめて、背景は澄んだ空色で塗り込められる。色彩を知り尽くしたキスリングならではの画法には、隣り合う色を相互に引き立てる補色の効果が最大限に活かされている。青い空に映える太陽のようなその配色は、心躍る生命の輝きとなって冴えわたる。

キスリング KISLING  1891-1953


キスリング 1925年 ©KISLING ARCHIVES

ポーランドの古都クラクフの裕福なユダヤ系の家に生まれる。1910年パリに出て、1912年からピカソやブラックらと交友、キュビスムに感化される。1913年以降はモンパルナスで、モディリアーニやパスキン、藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと親交を結んだ。1910年代の末、華麗な色彩と滑らかな画肌を駆使した独自の画風を確立、哀愁の漂う作品は人気を博した。第二次大戦時はナチス・ドイツの迫害から逃れて渡米。1946年フランスに帰国し、パリと南フランスを行き来しながら活躍した。

執筆:
村上 哲(むらかみ・さとし)

アート・キュレーション代表。1957年、熊本県出身。東京藝術大学卒業。
熊本県立美術館の学芸課長を経て2018年から現職。海外展の企画統括・監修に携わる。
専門は比較芸術学、エコール・ド・パリ研究、ミュゼオロジー(美術館運営学)。

エピローグにつづきます。


「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」は10月25日(日)まで美術館「えき」KYOTOで開催中です。

企画・監修:マイテ・ヴァレス=ブレッド(フランス/ポール・ヴァレリー美術館館長、文化財保存主任監督官)
統括・監修:村上 哲(アート・キュレーション代表、チーフ・エグゼクティヴ・キュレーター)
企画協力:株式会社ブレーントラスト