キスリング展監修・村上哲さん解説⑤船と街並みの呼応―《マルセイユの港》

キスリング展監修・村上哲さん解説⑤船と街並みの呼応―《マルセイユの港》


《マルセイユの港》1940年頃
油彩・カンヴァス 73×54cm
パリ市立近代美術館
Photographie ©Musée d’Art Moderne/Roger Viollet

第二次大戦時の1940年6月、フランスがドイツ軍に占領されるなか、キスリングは緊張の高まるパリを去って南フランスに逃れ、9月まで滞在する。ユダヤ民族を迫害するナチス・ドイツに対して抗議活動をしていたキスリングは、1938年にヒトラーから死刑宣告を受けて、遂にはアメリカへの亡命を余儀なくされることとなった。
マルセイユの港の景観を魅惑的に捉えたこの絵は、渡米する前年の1940年の夏に制作された佳品。船の煙突やマストが作り出す垂直線が建築群と呼応しながら、空にそびえ立つ鐘楼へと繋がり、船体の水平軸のフォルムは立ち並ぶ建物を受け止めている。家並みの足元に係留された波止場の船が、迫りくる旅立ちのときを予兆するかのようだ。

キスリング KISLING  1891-1953


キスリング 1925年 ©KISLING ARCHIVES

ポーランドの古都クラクフの裕福なユダヤ系の家に生まれる。1910年パリに出て、1912年からピカソやブラックらと交友、キュビスムに感化される。1913年以降はモンパルナスで、モディリアーニやパスキン、藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと親交を結んだ。1910年代の末、華麗な色彩と滑らかな画肌を駆使した独自の画風を確立、哀愁の漂う作品は人気を博した。第二次大戦時はナチス・ドイツの迫害から逃れて渡米。1946年フランスに帰国し、パリと南フランスを行き来しながら活躍した。

執筆:
村上 哲(むらかみ・さとし)

アート・キュレーション代表。1957年、熊本県出身。東京藝術大学卒業。
熊本県立美術館の学芸課長を経て2018年から現職。海外展の企画統括・監修に携わる。
専門は比較芸術学、エコール・ド・パリ研究、ミュゼオロジー(美術館運営学)。

次回は「ミモザの花束」をご紹介します。


「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」は10月25日(日)まで美術館「えき」KYOTOで開催中です。

企画・監修:マイテ・ヴァレス=ブレッド(フランス/ポール・ヴァレリー美術館館長、文化財保存主任監督官)
統括・監修:村上 哲(アート・キュレーション代表、チーフ・エグゼクティヴ・キュレーター)
企画協力:株式会社ブレーントラスト