キスリング展監修・村上哲さん解説①プロローグ:メランコリックな情趣

キスリング展監修・村上哲さん解説①プロローグ:メランコリックな情趣

美術館「えき」KYOTOで始まった「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」。本展監修の村上哲さんに、キスリングの作品について、人生や人物像を織り交ぜながら解説していただきます。7回連続で掲載します。

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キスリング 1925年 ©KISLING ARCHIVES

今から100年前のパリで、時代の寵児として一世を風靡したキスリング(1891-1953)。ポーランドの古都クラクフから芸術の都パリに出て、ピカソやモディリアーニ、藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交友しながら独自の画風を築き、エコール・ド・パリ(=パリ派)を代表する画家として名を馳せた。このたびの展覧会はわが国で12年ぶりの回顧展であり、パリ市立近代美術館やジュネーヴのプティ・パレ美術館など海外の美術館をはじめ、国内の美術館や個人所蔵の名作の数々が一堂に展示される。エコール・ド・パリの巨匠と謳われたキスリングの全貌を堪能できる絶好の機会である。

プロローグ

1918年に第一次世界大戦が終結して、パリでは多彩な文化が咲き誇る華やかな“狂騒の時代(=レ・ザネ・フォル)”の幕が開いた。1919年の秋、キスリングはパリ・ロワイヤル街のドゥリュエ画廊で初めての個展を開き、個性的なスタイルが高く評価される。そして1920年代、艶やかな色彩を駆使した哀感漂う作品は広く人気を博し、エコール・ド・パリの仲間のなかでも最も早く成功を収めた画家となった。人情味に溢れた大らかな人柄だったキスリングは、「モンパルナスのプリンス」と呼ばれて仲間たちから愛されたという。


《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)》
1933年 カンティーニ美術館、マルセイユ
©Musée Cantini, Marseille

キスリングは、肖像画や裸婦像など西洋絵画の伝統を継承する画家として、20世紀の絵画史において異彩を放つ存在である。キュビスムやフォーヴィスムなど前衛の手法を古典的なレアリスムと融合させる作風は、フランス絵画の系譜に新たな息吹を与えた。そのユニークな画面には、ルーツである東欧風のエキゾティシズムが横溢する。

キスリングやモディリアーニらは故国をあとにパリにやってきた異邦人であり、その多くはユダヤ系であった。遠い昔に祖国を失ったユダヤ民族として生まれ、異国の空の下で生きる彼らの作品には、メランコリックな情趣が沁みわたる。1920年代、彼らはこの芸術の都にちなんで「エコール・ド・パリ(=パリ派)」と呼ばれるようになった。


《赤毛の女》1929年 プティ・パレ美術館/近代美術財団、ジュネーヴ
©Petit Palais/Art Modern Foundation,Genève

キスリングは早い時期から、フランスに同化しようとした画家であった。第一次世界大戦時には外国人の部隊に志願し、その武勲によりフランス国籍を取得している。しかし1920年代にパリで起きた異邦人への排斥や、第二次世界大戦時にユダヤ人を迫害したナチス・ドイツに対しては民族の誇りを賭けて抵抗運動を行うなど、激動の時代を力強く生き抜き、画家としての人生を全うしている。

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執筆:
村上 哲(むらかみ・さとし)

アート・キュレーション代表。1957年、熊本県出身。東京藝術大学卒業。
熊本県立美術館の学芸課長を経て2018年から現職。海外展の企画統括・監修に携わる。
専門は比較芸術学、エコール・ド・パリ研究、ミュゼオロジー(美術館運営学)。

次回はポスタービジュアルにもなった「ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)」の解説です。


「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」は10月25日(日)まで美術館「えき」KYOTOで開催中です。

企画・監修:マイテ・ヴァレス=ブレッド(フランス/ポール・ヴァレリー美術館館長、文化財保存主任監督官)
統括・監修:村上 哲(アート・キュレーション代表、チーフ・エグゼクティヴ・キュレーター)
企画協力:株式会社ブレーントラスト