キスリング展監修・村上哲さん解説②瑞々しくもどこかに憂い―《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)》

キスリング展監修・村上哲さん解説②瑞々しくもどこかに憂い―《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)》


《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)》
1933年 油彩・カンヴァス 160×110cm
カンティーニ美術館、マルセイユ ©Musée Cantini, Marseille

2度の世界大戦のはざまの1920年代、キスリングはパリの文化人たちの肖像画を数多く描いた。この絵のモデルは女流作家コレットの娘で、母親に「ベル=ガズー(小鳥の美しい鳴き声)」というあだ名で呼ばれた女性。のちに映画界で活躍し、第二次大戦後には才能溢れるジャーナリストとしても名を馳せた人物である。この絵が描かれたとき彼女は20歳前後で、映画の世界に入ったばかりであった。首を傾けて、純潔のシンボルである百合の花束を手に持ち、鮮やかなタータンチェックのワンピースをまとう姿は瑞々しくもどこか憂いを帯びる。絵の背景に鬱蒼と生い茂る植物は、キスリングが信奉していたアンリ・ルソーの密林の絵を思い起こさせる。画家の親しげで優しい眼差しが、奥ゆかしい可憐さを余すところなく捉えている。

キスリング KISLING  1891-1953


キスリング 1925年 ©KISLING ARCHIVES

ポーランドの古都クラクフの裕福なユダヤ系の家に生まれる。1910年パリに出て、1912年からピカソやブラックらと交友、キュビスムに感化される。1913年以降はモンパルナスで、モディリアーニやパスキン、藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと親交を結んだ。1910年代の末、華麗な色彩と滑らかな画肌を駆使した独自の画風を確立、哀愁の漂う作品は人気を博した。第二次大戦時はナチス・ドイツの迫害から逃れて渡米。1946年フランスに帰国し、パリと南フランスを行き来しながら活躍した。

執筆:
村上 哲(むらかみ・さとし)

アート・キュレーション代表。1957年、熊本県出身。東京藝術大学卒業。
熊本県立美術館の学芸課長を経て2018年から現職。海外展の企画統括・監修に携わる。
専門は比較芸術学、エコール・ド・パリ研究、ミュゼオロジー(美術館運営学)。

次回は「果物のある静物」をご紹介します。


「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」は10月25日(日)まで美術館「えき」KYOTOで開催中です。

企画・監修:マイテ・ヴァレス=ブレッド(フランス/ポール・ヴァレリー美術館館長、文化財保存主任監督官)
統括・監修:村上 哲(アート・キュレーション代表、チーフ・エグゼクティヴ・キュレーター)
企画協力:株式会社ブレーントラスト