【開催報告!】「絵書きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」ギャラリートーク ~後編~

【開催報告!】「絵書きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」ギャラリートーク ~後編~

泉屋博古館にて好評開催中の企画展「絵書きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」。本展は、住友家に伝わった近代日本画の名品を、画家の筆ぐせからご鑑賞いただく展覧会です。


5月26日(土)には、泉屋博古館分館長の野地耕一郎さんによるギャラリートークを開催いたしました!ギャラリートークでは、野地分館長が展示作品1点1点のみどころを丁寧に解説されました。本特集では、その内容を前編後編に分けてハイライトとして紹介します!

 

まずは、京都画壇の作品をみていきましょう。京都では明治時代に美術工芸学校、絵画専門学校ができ、狩野派、円山四条派、文人画、西洋絵画をまんべんなく学ぶことができました。流派独自のものをそのまま継承するのではなく、あらゆる画流派を学んで、そこから自分の画法を作る画家が生まれていったのです。

富岡鉄斎(とみおか・てっさい)《古柯頑石図》明治45年 (1912)泉屋博古館分館

明治末から大正期になると印象派以降の西洋絵画が日本にも紹介され、それに刺激されて新しい南画(文人画)風が流行ります。そのなかで最も個性的なのが富岡鉄斎。中国明清時代の文人画に倣いながらも、それから逸脱した独自の筆法を編み出します。それは結果的にセザンヌやフォービスム(野獣派)の粗放な描法とも重なる表現でした。

竹内栖鳳(たけうち・せいほう)《禁城松翠》昭和3年 (1928)泉屋博古館分館蔵

もともと円山四条派を学んだ画家ですが、明治33(1900)年に渡欧して、西洋画法を取り入れて風景画に新風を吹き込みます。空間に融けるような樹木や、陽があたった水面の光と影の様子などターナーやコローなどに学んだ要素と、俳句を深くたしなむことで習得した軽妙洒脱な四条派の筆致がみどころです。

最後に東京画壇です。明治期後半の東京画壇では性急な近代化のもと伝統画流派の解体と筆法変容の取り組みが進みます。そして、画家達には時代の流行や社会情勢によるモードに敏感に反応する傾向が強くみられるようになります。
尾竹国観(おだけ・こっかん)《黄石公張良之図》明治45年(1912)頃泉屋博古館分館蔵

作品に描かれているのは、張良(右)が黄石公(左)に教えを請うために、黄石公がぬぎ捨てた靴を拾い、黄石公に差し出している場面。輪郭線をともなわない没骨法(もっこつほう)や墨のぼかしを駆使した写実的な表現で、この歴史ロマンの一場面を描いています。黄石公の左足の踵から足裏の表現に注目。履物を脱いだばかりなので足裏が白っぽくなっていませんか?また靴を差し出す張良の手の表現もみどころです!さらに、黄石公が乗る後ろ向きの馬をみてみましょう。後ろの右足をあげることによって左の臀部の筋肉が硬直している様子が見てとれます。

東山魁夷(ひがしやま・かいい)《スオミ》昭和38年 (1963)泉屋博古館分館蔵

戦後の日本画に求められたのは、油彩画の絵肌にも負けない重厚さでした。東山魁夷の深遠な表現は、基礎になる円山派の写生と塗り重ねられた岩絵具の重厚感によって成立したもの。線描主体の「描く」絵画から「塗る」絵画への転換は、おのずと画家たちの筆ぐせを抑制することとなったのです。


住友家が暮らした大阪や京都、東京の邸宅を飾った各地域の画壇で活躍した日本画家たちの作品にも、近代の絵描きならではの個性的な筆法と各都市で流行し受け継がれた特徴ある画流派の筆致が生き続けていました。近世以前の画流派を受け継ぎながら、どのように近代に繋げていったのかに注目してみると近代日本画はとても面白いですよ!!

6月30日(土)には日本画家・竹内浩一氏によるゲストトークを開催します!(両日14:00~/要入館券)ぜひご参加ください!!