実物の作品を間近で鑑賞するという講演会の趣旨から、特別に「保津川図屏風」をケースなしで展示。右隻左隻を横に並べるのではなく、向かい合わせにし、来場者の皆様にはその間に着席いただきました。「これは、千總さんがここで客を招いて遊ぶ、保津川下りを楽しむための絵なんです」と狩野先生。向かい合わせの屏風の間に座り、舟に乗って川下りをしている気分を楽しむ趣向は、千總の先代当主より直接聞かれたというエピソードに基づきます。
京都の町人にとって、屏風を持つということはステータスの一つでした。京都の祇園祭が屏風祭と言われるのは、家々が座敷に屏風が飾り酒肴と共に祭に訪れた人々をもてなしたことに由来します。大店の町人は絵師のパトロンとなり、そうでない町人も講をつくり屏風を購入する資金を積み立てたそうです。そうした風習によって絵師たちは大いに腕をふるい、人々の目は肥え、京都の文化力を底上げしたのだといいます。
また、応挙の精神的なパトロンともいえる学僧で詩人の六如との関わりから、「他の分野との関係を見ないと、美術史というものは分からない」と狩野先生。ありのままの風景を表現した六如の詩「即景」にふれながら、応挙の写生というものについて、「絵は文学で表現できないものを表現する、絵は絵で自立しなければならない」と応挙は考えていたと言います。純粋絵画にも通じるその考え方を、ジャクソン・ポロックにも例え、応挙の絶筆とされる「保津川図屏風」は、「保津川下りをするための絵。それ以上の意味はない。意味がないということが重要」と結論されました。
応挙が考えぬいた「絵とは何か」という問いの答えが凝縮された「保津川図屏風」。京の絵師の作品が、町人のパトロンとしての誇りや美意識と共に成長し、詩人をはじめ多くの文化人と交流することで感化され、深められていった歴史を、様々な事例と共に解き明かす示唆に富むご講演でした。
次回は、2017年12月15日(金)「千總と春日大社―千切台が結ぶ縁」と題し、元春日大社権宮司の岡本彰夫氏にご講演いただきます。