特別企画展「木島櫻谷と京都画壇―京都 三条・大橋家コレクション―」
大橋家とは、残された家系図によると、宝暦8年(1758)に亡くなった大橋重右衛門を初代とする江戸時代中期から続く旧家です。その5代目弥兵衛(糸屋)の息子・松之助分家として初代大橋重助を名乗り、三条御倉町に家を構えました。5代続いたこの家は、西村總左衛門家が営む染織業(現・千總)と深くかかわりながら平成まで続きました。しかし、2014年には後継者が不在となり、京都府は2016年にその所蔵資料の寄贈を受けました。
本展では、その中から大橋家4代の大橋松次郎と深い交流のあった木島櫻谷・谷口香嶠・猪飼嘯谷ら京都画壇の作品を中心に展示します。あわせて、大橋家の歴史をひもといて紹介します。
●画家の紹介と主な展示作品●
■木島櫻谷(1877-1938)
木島櫻谷は、明治10年に京都・三条室町(御倉町)の商家に生まれました。円山四条派を受け継ぐ今尾景年に師事し、確かな伝統に新時代の感性を取り入れるなどさまざまな研究を重ね、京都画壇における竹内栖鳳の次世代を担う旗手として文展・帝展で活躍しています。師の今尾景年は花鳥画、また、木島櫻谷といえば動物画が有名ですが、一方で人物画、なかでも歴史画にも惹かれていたといいます。櫻谷の画風は優美で穏和な雰囲気を特徴としていますが、昭和初期頃からは、書画や詩作に没頭する隠棲的生活を送るようになりました。
生家が大橋家のすぐ近くにあったことから、両者の関係はかなり親しく、櫻谷も支援を受けていたようで、大橋家には多くの櫻谷の絵画や工芸が遺されていました。
木島櫻谷 「晩秋」 明治36年(1903)京都府蔵(京都文化博物館管理)
■谷口香嶠(1864-1915)
大阪の豪商・辻久次郎の子として京都に生まれましたが、大橋重之助は実弟にあたります。19歳の時、谷口家の養子に入り、20歳で幸野楳嶺に入門して日本画を学び、傍ら三國幽眠について漢学を修めました。内国勧業博覧会、全国絵画共進会、パリ万博などで受賞を重ね、菊池芳文、竹内栖鳳、都路華香とともに楳嶺門下の四天王と称されました。この間、明治21年には竹内栖鳳ら青年画家で煥美協会を結成し、『美術叢誌』を創刊、やがて京都市美術学校で教鞭をとっています。明治35年にはトリノ万国装飾博覧会視察のためヨーロッパを巡遊し、42年には開校した京都市立絵画専門学校の教諭にもなっています。有職故実に精通した歴史画家、考証家、図案家として知られ、多彩な後進を育みました。
谷口香嶠「舞楽図衝立」
■猪飼嘯谷(1881-1939)
京都に生まれた猪飼嘯谷は、京都市立美術工芸学校を卒業後、やがて同校教諭、また大正14年まで京都市立絵画専門学校の教諭を務めました。谷口香嶠に師事し、その忠実な弟子として歴史画を得意としました。官展を中心に作品を発表し、昭和5年に宮内省の命によって描かれた《大正天皇御大礼絵巻》や、9年に描かれた明治神宮聖徳記念絵画館壁画《即位礼図》などが知られています。
猪飼嘨谷「源頼義得清水の図」
【同時開催】
4階特別企画展「池大雅−文人たちの交流−」もあわせてお楽しみください。
特別企画展「木島櫻谷と京都画壇―京都 三条・大橋家コレクション―」 ◆会 期:2020年8月12日(水)〜9月22日(火・祝) |