山口華楊(1899~1984)は京都市中京区出身で、大正から昭和にかけて京都で活躍した日本画家です。
本展では、動物画で独自の画境を確立した華楊の代表作を通して全貌を紹介します。
京都画壇の写生の伝統を受け継ぎ、動物画の名手であった師の西村五雲から学んだ瀟洒な感覚と鋭敏な写実性を新たな表現へと発展させました。
生きものを慈しむまなざしと高い品格、加えて知的な構成力と静かな空気感は、華楊ならではの魅力と言えるでしょう。
堂本印象(1891~1975)と華楊は、同じ京都衣笠の地を活動の拠点とし、印象は画塾東丘社を主宰、華楊は五雲亡き後の晨鳥社を研究団体として再興し、戦中・戦後の京都画壇を牽引してきました。
ぬくもり溢れる華楊芸術の世界を、印象自らデザインした堂本印象美術館で展観するというこの機会を是非お楽しみください。
千利休の曾孫にあたる表千家四代家元・江岑宗左(こうしんそうさ)の350回忌を記念する特別展です。
江岑は、千利休の孫、元伯宗旦(げんぱくそうたん)の三男に生まれ、江戸時代の前期、千家の家督を相続して、利休の茶の湯を継承する表千家不審菴(ふしんあん)の基盤を築き、千家茶道を確立しました。そして弟の仙叟宗室(せんそうそうしつ)は裏千家今日庵(こんにちあん)、兄の一翁宗守(いちおうそうしゅ)は武者小路千家(むしゃこうじせんけ)官休庵(かんきゅうあん)の基礎を築き、利休の道統をこんにちに伝える三千家が成立しました。
また江岑は紀州徳川家に茶堂(さどう)として出仕し、以後、幕末に至るまでおよそ200年にわたって表千家の歴代家元は同家に出仕し、茶の湯を通じた深い結びつきを持つことになります。
さらに、江岑は、千家に伝わる茶の湯や利休の伝承を綴った聞書覚書(ききがきおぼえがき)をはじめ、江岑が招かれた700会をこえる茶会の記録、道具の箱書(はこがき)や極(きわめ)などの書付(かきつけ)をした記録である道具帳など、実に多くの茶書を残しました。
この特別展では、家元より特別出品される江岑ゆかりの道具と史料およそ70点から江岑の生涯と茶の湯を訪ねます。
美術館「えき」KYOTO「溝縁ひろし写真展 昭和の祇園~花街とともに~」の関連イベントとして、京都新聞ニュースカフェ特別講演会を開催いたします。
花街を代表するお茶屋「一力亭」女将の杉浦京子さんをゲストに迎え、トークセッションも実施します。
障害のあるアーティストらによる細部にまでこだわりをもって作られた作品を紹介する展覧会を開催します。タイトルの「細部に宿る」とは、ドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエが残した「神は細部に宿る」という言葉を由来としています。細かい部分までこだわり抜くことで、全体としての完成度が高まることを意味する言葉です。人が何かを作りあげる時、細部にまでこだわり、作り込んで初めて全体が動きだすのです。
本展では、障害のあるアーティスト18名による見えないところまで作り込まれた作品や、植物や微生物などを緻密に写実的に描き込まれた作品など、各々が細部にまでこだわりをもって作られた作品を絵画から立体造形まで幅広く紹介します。
日本美の象徴と言われる琳派、そして傑出した個性の絵師である伊藤若冲。人気の高いこれら絵画に、鉄腕アトム、初音ミク、リラックマなどのキャラクターが時代を越えて融合します。
“ポップ・アートの旗手”アンディ・ウォーホル(1928~87年)
。1958年、彼にとって初めての海外への旅であった世界一周旅行は人生の中で重要な転換期となりました。
旅のハイライトとして訪れた2週間の日本滞在、中でも「京都」での滞在は、見るもの全てがそれ以降の作品に影響を与えたことは言うまでもないでしょう。
後の1974年、彼の2度目の日本滞在の際、原榮三郎(1935~2004年)は同行撮影を行いました。ウォーホルが桂離宮や三十三間堂、祇園など、京都の名所を訪問する様子を写真に記録しています。
本展では、その旅の足跡をたどる約100点の写真を展覧します。彼が当時、この街を歩き、感じた気配を感じながらお楽しみください。
明治維新後、博覧会や博物館は日本の近代化を進める上で重要な役割を担ってきました。中でも、西本願寺を会場として開催された「京都博覧会」は、日本初の博覧会として多くの観覧者を集めました。本展では、「京都博覧会」をはじめ、西本願寺が独自の手法で企画した「本願寺蒐覧会」や、龍谷大図書館に設立された「仏教児童博物館」、私設の自然史系博物館「平瀬貝類博物館」を、古写真や文献資料約200点から、当時の展示の工夫や意義を探ります。
「第40回六轡會篆刻作品展」が開催されています。六轡會からのメッセージを含め展覧会をご紹介します。
昨年11月、99歳で人生の幕を閉じた瀬戸内寂聴師。作家として僧侶として、常に精一杯の行いを自らに課し、最後までペンを握り続けました。本展では、新たに出版された寂聴師の著作、活動の記録、交友録を一堂に展覧するとともに、会場には「心に残る寂聴師のことば」を散りばめ、法話映像、秘蔵の資料とともに、寂聴師を偲びます。
※掲載写真撮影:斉藤ユーリ
陶芸家として初の文化勲章を受章した我が国の至宝・板谷波山(いたや・はざん)の生誕150年を記念し、泉屋博古館所蔵の住友コレクションをはじめ、波山の選りすぐりの名品を一堂に集め展覧します。
波山は理想の作品作りのためには一切の妥協を許さないという強い信念により、端正で格調高い作品を数多く手がけました。その一方で故郷のまちと人々をこよなく愛し、ともに信頼し、共感しあいながら生きていくことを大切にした人物でもありました。
本展では作品とあわせて、波山が生まれ愛した故郷・茨城県下館町(現・筑西市)への思いや人となりを示す貴重な資料、そして試行錯誤の末に破却された陶片の数々を通して、波山の様々な姿を紹介します。
作品に表現された美と祈りの世界に癒され、
波山の優しさとユーモアに溢れた人生に触れるひと時をぜひお楽しみください。
「利形の守破離」―「利形」とは、千利休の美意識を基にした様式美、茶の湯のみならず、工芸一般の美意識の基礎となるものです。茶の湯の世界では、利休の指導した美意識を基本に、それぞれの時代に新たな創造を打ち立ててきました。
本展では、そうした基本視点から、利休の美意識を最も色濃く表す樂茶碗の始祖・長次郎を中心に、樂歴代それぞれの創造的な作陶世界に焦点を当て、茶碗という限られた造形の中での創造精神の原点を問います。
世界の現代音楽・ポップミュージックシーンにおけるレジェンドであり、ヴィジュアル・アートのパイオニアであるブライアン・イーノによる大規模個展が開催されます。彼が提唱したアンビエント・ミュージック(環境音楽)を音と光で体感できる空間芸術です。
芸術家としての活動のみならず、環境問題など社会活動にも取り組んできたイーノが、世界的文化都市である京都でどのようなメッセージを発信するのでしょうか。
帝室技芸員とは、1890(明治23)年に発足した制度で、皇室によって優れた美術工芸家を顕彰、保護するものです。美術界のトップランナーというべき、一握りの美術家が選ばれました。
制度発足の背景には、美術の奨励に加え、明治維新によって幕府や諸藩の庇護を失い、窮地に立たされた画家や工芸家を救い、優れた技術を保存する目的がありました。帝室技芸員は当代における美術の、最高の栄誉と権威を示す制度となり、1944(昭和19)年まで続くなかで、京都にゆかりのある美術家も多く選出されています。
本展では、制度が発足した明治期を中心に、京都にゆかりのある19人の帝室技芸員を紹介します。最高峰とたたえられた名作を通して、明治期京都の技と美をご覧ください。
『第40回京都新聞チャリティー美術作品展』を、京都髙島屋7階グランドホールで開催します。
陶芸、工芸、彫刻、洋画、版画、日本画、書、イラスト、漫画、写真など、全国の著名な美術家・宗教家・文化人ら約900人からご寄贈いただいた約1,000点の心のこもった作品を一堂に展示いたします。
ぜひともご鑑賞いただき、作品を寄贈してくださった作家の皆さまのまごころのこもった作品をお楽しみください。
京から高野山へ至る街道の合流地点として栄えた歴史をもつ大阪府南部の河内長野市。当地には観心寺と金剛寺という真言密教の古寺があり、この地域における信仰の中心を担ってきました。南北朝時代には後村上天皇の行宮(あんぐう)として、楠木正成など南朝勢力の拠点となったことでも知られます。
本展は、京都国立博物館が実施した両寺の文化財調査の成果を公開する機会として、従来知られた名品に加え、新たに発見された寺宝の数々をご紹介します。歴史の息づく町、河内長野が伝える濃密な文化をお楽しみください。
会期中展示替え有
《前期》2022年7月30日(土)~8月21日(日)
《後期》2022年8月23日(火)~9月11日(日)
清水九兵衞/六兵衞は、塚本竹十郎の三男として1922年に名古屋に生まれました。沖縄戦からの復員後、東京藝術大学工芸科鋳金部等で学び、1951年に六代清水六兵衞の養嗣子となり陶芸の道に進みました。陶芸家としての評価が高まる一方で「もの」と周囲の空間に対する関心が深まり、1966年に初めて彫刻作品を発表。1968年に「九兵衞」を名乗り、陶芸制作から離れ、アルミニウムを主な素材とする彫刻家として活動していきます。その作品は、構造と素材、空間などとの親和性(アフィニティ)を追求したもので、日本各地に設置された彫刻からもその創作意識をうかがうことができます。
清水は1980年の六代六兵衞の急逝を受けて七代六兵衞を襲名しました。その作品は、土の性質や焼成によるゆがみを意図的に用いたものであり、そこで得られた経験を、陶とアルミを組み合わせた作品、和紙やクリスタルガラスによる作品などに生かし、九兵衞/六兵衞としての新たな造形を示しました。
本展では、陶芸および彫刻作品のほか、清水自身が撮影した写真作品、彫刻制作のための図面やマケットなど、約170件の作品および関連資料を通じて、その生涯を回顧します。
現代日本を代表する陶芸家、辻村史朗(1947~) は、奈良の山中、水間の地に自らの手で、住まいと窯を備えたアトリエを造り、以来50 年、大自然に寄り添いながら、己の心に従いひたすらに土と炎に向き合っています。なかでも作陶を開始した20代半ばより一貫して制作しているのが茶盌です。若き日に心魅かれた大井戸茶碗を端として、自分にしか生み出せない茶盌を追い求め、70代半ばを迎えた現在でも早朝から土をひねり、窯に向かう姿は、50年前から変わらない辻村の日常であり「良いものを造りたい」という真っすぐな哲学を表しています。本展は、辻村がライフワークと位置づける茶盌100盌を、前期後期にそれぞれ50盌ずつご紹介いたします。前期では、今最も力を注ぐ志野ばかりを、そして後期には、志野をはじめ、長年心血を注いで取り組んだ、井戸、伊賀、粉引、赤、黒など辻村の茶盌の全貌を展覧いたします。
京都の呉服専門店「ぎをん齋藤」七代目当主 齋藤貞一郎氏と、植物染の「染司よしおか」五代目当主 吉岡幸雄氏。
江戸時代より代々続く染織の家に生まれた二人は、家業を継ぎながらも伝統の枠にとらわれることなく、それぞれのスタイルで美を追求してきました。
本展では、熟練の職人と共に試行錯誤を繰り返して創りあげた、いにしえの色の再現や憧れの技を昇華させた新たな表現と、その過程に焦点を当てていきます。
美しい色彩や素材へのこだわり、技の継承や職人の育成―さまざまな想いをたどりながら、染織に挑み、染織に魅せられた二人の姿を紹介します。
大正から昭和時代にかけて活躍した堂本印象。
印象の表現は、日本や東洋の古典に西洋画を取り入れた具象絵画から、戦後には抽象絵画へと幅広い展開を遂げました。
こうした様式の変化の裏には、1952年に経験した渡欧が大きな契機であったといえるでしょう。
本展では、印象の経験したヨーロッパ旅行の足跡を中心に、大正時代に旅した中国を描いた作品とあわせて紹介し、渡欧前後の風景表現の広がりを紹介します。
日本画にしばしば登場する動物。鹿や狸など身近に生息する野生動物や、牛や馬など家畜として人の生活を支えてきた動物など、様々な生き物が動く姿をいかに表現するかということは、古来多くの画家が取り組んできたテーマでした。本展では、日本人にとって動物がどのような存在であったかなど、動物が描かれるようになった背景や、画家を魅了した様々な動物画をご紹介します。