徳岡神泉ってどんな画家?~富士山麓での転機~

徳岡神泉ってどんな画家?~富士山麓での転機~


カブや花、鯉など身近なモチーフの中に“奥深い美意識”や“静かな感動”を込めて描いた画家・徳岡神泉に焦点を当てた展覧会「徳岡神泉―深遠なる精神世界―」を、京都府立堂本印象美術館で開催中です。
徳岡神泉を紹介する展示は、京都では1996年に京都国立近代美術館で開催されて以来、20年ぶりの開催となります。

でも、徳岡神泉っていったいどんな画家?
ここでは、11月3日(土・祝)に開催された講演会「徳岡神泉が求めたもの」(講師:堂本印象美術館主任学芸員 山田由希代氏)の内容をもとに、徳岡神泉についてご紹介します。


~富士山麓での転機~

大正8年、23歳の神泉は苦悩と失意から京都を去り、放浪の旅に出ました。
そして富士山麓の町・静岡県富士川町岩淵で新たな生活を始めます。

この場所で神泉はある女性と出会いました。
それは一人の精神障害者の女性だったのですが、病んだ心を抱えつつもわが子に強い愛情をそそぐ姿に、神泉は感銘を受けたのです。
神泉はこの女性をモデルに《狂女(白痴の女)》という作品を制作し、表面には見えなくともその奥にたしかにある“愛”を描きました。

またすごみを感じるほどに細密描写を施した《蓮》《椿》なども制作するなど、自身の表現に対する模索を続けます。

これら岩淵での制作を通して、神泉は表面上だけではない対象の奥深くにある“何か”を描きたいという、
今後の神泉の制作活動において根幹となっていく思いに辿りついたのです。
また、私生活においてもこの岩淵の地で奥さんに出会い、長女に恵まれるなど岩淵は神泉にとって転機の地となりました。


次回は、神泉様式の幕開けについて紹介します。