進化した浮世絵!?郷愁をさそう情景描写「新版画」ってなんだ(下)

7月5日に美術館「えき」KYOTO(ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)で開幕した、「新版画展 美しき日本の風景」。
江戸時代に流行した浮世絵の技術を受け継ぎ、大正から昭和初期にかけて人気を集めた「新版画」と呼ばれる木版画の中から、日本各地を描いた風景画約100点を展示しています。

明治に入って収束に向かった浮世絵。その技術を受け継いだ「新版画」誕生の仕掛け人は、渡邊庄三郎(わたなべ・しょうざぶろう)という木版画の版元でした。
本展2回目のギャラリートークは、庄三郎の孫にあたる渡邊章一郎さん(株式会社渡邊木版美術画舗 代表取締役)を講師にお迎えしました。

○「新版画」が生まれるまで

明治末期、横浜の貿易商のもとで働いていた庄三郎は、海外への浮世絵の輸出に携わります。
同じ絵が何枚も刷られ、海外で飛ぶように売れていくのを見た庄三郎は、その商売のおもしろさに気づき、若くして独立。
しかし、外国人には人気の浮世絵も、日本ではブームが沈静化し、新たに描いてくれる画家を見つけるのに苦労しました。
そこで庄三郎は、当時ヨーロッパから日本を訪れていたフリッツ・カペラリとC.W.バートレットの2人の画家に作品の版画化を勧め、販売したところ大ヒット。
これが日本人の作家を動かし、橋口五葉(はしぐち・ごよう)、伊東深水(いとう・しんすい)らが参加していきます。
こうして、浮世絵に由来する伝統的な版画制作技術を用いつつ、モダンな感覚で描く「新版画」運動が広がりました。


 <渡邊木版美術画舗 渡邊章一郎さん>

○日本の四季と新版画

春の桜、夏の高山、秋の紅葉、冬は雪景色と、メインに描かれるモチーフは季節ごとに変わっていきます。
笠松紫浪(かさまつ・しろう)の「春の夜 銀座」(1934年)は、「東をどり」の看板で春だと分かります。
しかし、紫浪がメインに据えたのは、この年銀座7丁目に新築開業したビヤホール「ライオン」。お酒を好んだという紫浪。もしかしたら、渡邊版画店での作後によく立ち寄っていたのかも知れません。


<笠松紫浪「春の夜 銀座」ビヤホールとされる建物は実物と違い、「竣工前だったので想像で描かれたのでは」と渡邊さん>

冬の絵は「雪景色」「赤い建物」「女性」の3点が描かれると大変よく売れるらしく、渡邊さんはこれを「ヒットの方程式」と呼んでいます。
川瀬巴水(かわせ・はすい)の「増上寺之雪」(1953年)もまた、この方程式が盛り込まれた一作。作中の2人の女性は巴水の妻と娘だといわれていますが、その横の男性について巴水は「自分ではない」と否定しているそうです。


<ヒットの方程式が盛り込まれた川瀬巴水「増上寺之雪」>

○世界の偉人と新版画

新版画が再び注目されたきっかけの一つに、スティーブ・ジョブズが作品を多く保有していたことがあります。
ジョブズが最初に買い求めたのは橋口五葉の作品で、のちに銀座の画廊で巴水の作品も多く購入していました。
会場にはあのダイアナ妃が執務室に飾っていた吉田博(よしだ・ひろし)の「関西 猿沢池」(1933年)も展示されています。


<吉田博≪関西 猿沢池≫ 昭和8(1933)年 公益財団法人平木浮世絵財団蔵>

渡邊さんはもう一人、もしかしたら新版画を持っていたかも知れない海外の偉人がいるといいます。それが、アインシュタイン博士。
物理学者・寺田寅彦らが、日本のお土産にと50数点もの版画をアインシュタインに贈ったことがあるのだとか。
その中に巴水の作品が入っていたかも知れず、まだ研究の余地があるとのことです。わくわくしますね!

浮世絵だけじゃない、日本の木版画。
新版画が海外の人々を魅了し続ける理由は、熱意に満ちた庄三郎の企画力、行動力があったからなのです。

 

※吉田博の“吉”は「土」+「口」です