「蘭島閣美術館コレクション 京の日本画家が描く情景」の関連イベントとして、
講演会「近代京都画壇を生んだ竹内栖鳳の系譜」が開催されました。
講師は美術史家・美術評論家の島田康寬先生です。
近代日本画の巨匠・竹内栖鳳。
現在の京都画壇においても栖鳳を源流とする画家が多数を占めています。
何故、栖鳳の系譜は現在にまで受け継がれているのか。
近代日本画を生み出した竹内栖鳳の系譜について、お話しくださいました。
明治中期、激動の時代の中で京都画壇をけん引した画家、森寛斎、幸野楳嶺、岸竹堂らが相次いで世を去ります。その後、画壇の中心として活躍したのが、山本春挙、菊地芳文、谷口香嶠(こうきょう)、竹内栖鳳、都路華香(つじかこう)らです。彼らは自らの作品制作・発表のほか、それぞれが画塾を開いて後進の育成にも励みました。
中でも、優れた画家を多く輩出したのが竹内栖鳳の画塾・竹杖会(ちくじょうかい)でした。
栖鳳門下生の西村五雲、西山翠璋らは後に独立して新たに自らの画塾を立ち上げ、またその門下生の山口華楊、堂本印象らも画塾を開き、栖鳳の弟子・孫弟子がどんどん増えていくことになったのです。
では何故、栖鳳の系譜がここまでひろがったのか。
画家には絵を描くことに優れた人、弟子の育成に優れた人がいますが、栖鳳はその二つともを兼ね備えていたからです。
栖鳳は36歳のころ(1900年)、パリへ渡り、それまでの日本画にはなかった写実的な描写、光と影の見方、作品制作における理論的・客観的な視点を直に学びます。他の画塾では比較的自由な気風だったのに対し、栖鳳はこの渡欧経験で学んだことを取り入れつつ、一方では日本・東洋美術の良さを見直すことで、西洋画と日本画の両方の良さを生かした作品制作を行い、弟子たちにはその極意を理論的に指導しました。
栖鳳の影響力・指導力が高かったからこそ、弟子たちは栖鳳の教えを大切にし、その教えをさらに受け継いでいき、その結果、現代の京都画壇においても栖鳳の系譜が脈々と息づいているのです。
たくさんの画家の名前が出てくるお話でしたが、
それぞれの作品画像を例に挙げながら、視覚的にも楽しくお話をしてくださいました。
(※上記写真中の作品は本展には出品されておりません)
島田先生、ありがとうございました。
「蘭島閣美術館コレクション 京の日本画家が描く情景」では今回の講演で登場した画家、池田遥邨、猪原大華、上村松園、上村松篁、小野竹喬、梶原緋佐子、金島桂華、下保昭、竹内浩一、堂本元次、中路融人、橋本関雪、福田平八郎、村上華岳、山口華楊の作品を展示中です。
また8月25日には「大正・昭和期の京都の日本画」というテーマで京都文化博物館学芸員・植田彩芳子氏による講演会が開催されます。詳細はコチラ。
こちらもぜひ、お越しください。