秋の大津絵みいつけた!「大津絵師・五代目髙橋松山さん」


大津市三井寺町にある「大津絵の店」は明治元年から続く大津絵を制作・販売するお店です。
当店の五代目・髙橋松山さんは大津絵を描き続け、伝統を守り伝えています。
ここでは今に伝わる大津絵についてお話を伺いました。



―大津絵とは―
大津絵は江戸初期に発祥したとされる絵画です。
当時の大津は京都と江戸を結ぶ東海道の宿場町として栄え、多くの人々が行き来していました。
そのため旅人に「軽くて持ち運びのしやすいお土産品」として人気を博しました。


―お土産品として―
大津土産としてローカルなものではありましたが、どの地域の人たちにも受け入れられるよう、
描かれる題材は鬼、猫やねずみといった動物、仏画などといった抽象的なものがほとんどです。
大量生産するために様々な工夫がされているのも特徴的です。
描きやすい題材が多く、一つの作品が出来上がるまでに、絵の具が乾く時間を省けば筆を持つのは2時間程度です。
スピードが重視され、後に確立された俳画風の崩し絵の「鬼の寒念仏」は従来の1/4のスピードで描けるまでになりました。

<左が一般的な「鬼の寒念仏」、右が俳画風の崩し絵の「鬼の寒念仏」>

経済的な観点で言えば、よく使用されている赤色の絵の具は、鉛を原料とした「丹」というもので、
現代で例えればペンキのような比較的安価なものを使っていたこともその表れです。
他にも当時高価であった青色は使われておらず、着物などは緑色に塗られていました。
赤鬼はいても青鬼が出てこないのはそういった理由があるんです。
大津絵は‟こう描かないといけない”という決まりはないのですが、
当時の絵師たちが同じような絵の具を使っていたので、
作品の出来上がりが何となく似た感じに見えるのもそういったことがあるのかもしれませんね。
このような工夫から、人気が高まった元禄期には一回の食事代程度で購入できるようになったと言われています。


<左は四代目・髙橋松山の「藤娘」、右は五代目作。並べてみると顔の違いがよくわかる。>

またその時々の流行を取り入れているのも特徴の一つです。「藤娘」のような美人画では、
目がぱっとしていて顔が細いものや、切れ上がった目でぽっちゃりとした顔のものがあります。
お土産品として多くの人々に買ってもらうためにいろいろと工夫していたのがわかります。


<上段:大津絵の「位牌」  下段:大津絵の「生け花」>

―現代までの流れ―
有名な画題の一つ「藤娘」は良縁、「瓢箪なまず」は地震除けというように護符としても人気が高まります。
江戸中期から後期にかけては、生け花や位牌の代わりになる作品も出回るようになりました。
その後「大津絵十種」という画題が確定するなどし、幕末には最盛期を迎え、
200~300程の画題があったとまで言われるようになりました。
しかしながら明治時代に入ると欧米文化の影響や鉄道網の発達などがあり徐々に衰退し、
民藝運動を起こした柳宗悦に評価された頃には120種類程度までになりました。
特に第二次世界大戦を経てからは厳しい時期を迎えましたが、絵師たちが伝統を守り伝えながら、
昭和50年頃の民藝ブームや平成の伝統工芸品の見直しや再評価する時期を経て現在に至ります。
最近では今年の春にパリで大津絵展が開催されたこともあり、
当店にもヨーロッパからのお客さんが来られるようになっています。
ヨーロッパをはじめ多くの方々に大津絵が再認識されているなと感じています。


「大津絵の店」
住所     滋賀県大津市三井寺町3-38
アクセス   京阪石山坂本線「三井寺駅」より徒歩10分
営業時間   午前10時~午後5時 ※第1・第3日曜日
電話番号   077-524-5656
HPアドレス   http://www.otsue.jp/


今回お話しをしてくださった五代目・髙橋松山さんが大津市歴史博物館で講演される
シンポジウム「パリで注目された大津絵」は11月2日(土)14時から行われます。
詳しくは大津市歴史博物館 ℡077-521-2100まで。

※次回は「三井寺力餅本家」をお届けします。