永田友治は自分の作品にきちんと名前を入れる、まめで几帳面な一面がありました。
前回紹介した「槙鹿蒔絵料紙箱・硯箱」に記されているのは、
槙鹿蒔絵料紙箱
底部分
円形印の上に「靑〃子」銘を添えたものです。
「浜松鶴蒔絵盃」にも同じ、印と号があります。
浜松鶴蒔絵盃 3口
浜松鶴蒔絵盃
側面部
元々「青〃」は尾形光琳の号であり、その子を意味する「青〃子」を号にしていた友治。
また、「宝珠蒔絵盃 3口」や「朝顔蒔絵螺鈿菓子盆」に記されている
宝珠蒔絵盃 3口 盃裏面
「方祝」
朝顔蒔絵螺鈿菓子盆 裏面
円形印の「方祝」(まさとき)
こちらは尾形光琳が使用していた印です。
この様に、光琳存命中に使用が許されていたことから、友治が心から光琳を慕っていたことや、光琳自身もその存在を認めていたのではないかということが分かります。 |
これほど光琳を意識し、光琳の名を敬称するものの、金銀伯の使用が禁止される厳しい時代の流れに直面した友治は、独自の技法を生み出していきます。
次回は「友治上げ(ゆうじあげ)」と現代にもその名が残る、友治の技法に迫ります。
お楽しみに!!