泉屋博古館「生誕140年記念特別展 木島櫻谷―近代動物画の冒険」で、発表の翌年から所在不明となっていた第4回文展受賞作《かりくら》が、約100年ぶりに公開されます!! 4年前に発見されたこの作品は、損傷がはげしく、約2年にわたる修復を経てこのたび往時の姿を取り戻しました。修復完成を記念して、9月22日には、木島櫻谷旧邸で本作の「里帰り」ともなる修復完成披露説明会を行いました。その様子を前編・中編・後編に分けてお伝えします!
約100年ぶりによみがえった《かりくら》
前編では、日本画家・木島櫻谷(このしまおうこく)の人となりについてご紹介します。
木島櫻谷(1877-1933)
木島櫻谷(このしまおうこく)は明治10(1877)年に京都・三条室町の商家に生まれます。三条室町は、京都のなかで染織事業をはじめ文化芸術の中心地として知られる場所です。櫻谷は、幼いころから絵を描くことが好きで絵描きを志しますが、商家に生まれたこともあり、一時は商業学校に通っていました。しかし、絵を描くことへの夢を諦めることができず、明治25(1892)年に京都画壇の流れを汲む今尾景年に入門。すると新古美術品展ほか各展覧会で入賞を繰り返し、20代から京都新鋭の作家として人気を博します。
櫻谷の画業を語るうえで、欠かせないキーワードのひとつが「文展(文部省美術展覧会、帝国美術院展覧会(帝展)の前身)」。文展とは、明治40(1907)年に始まった日本初の公設展。櫻谷は、第1回展の日本画部門で二等賞を受賞。一等賞は該当作がなかったので事実上の最高位を受賞。以降、第2回展、第3回展と連続入賞を果たし、「文展の寵児」として一躍全国から注目を浴びます。その後、大正2(1913)年の第7回展では、今尾景年にかわって審査員を務め、大正4(1915)年に京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)教授に就任し、後進育成にも励みました。
京都画壇における竹内栖鳳の次代のエースとして文展、帝展そして後進の教育と活躍した櫻谷ですが、体調を崩したこともあり、昭和初年頃より文人的生活を送るようになります。
晩年に画壇の第一線を退いたこともあり、後に顧みられることが少なくなった櫻谷ですが、2013年に泉屋博古館で開催された特別展をきっかけに研究が進み、近年注目が集まっています。
櫻谷の代表作といえば、大正元年(1912)第6回文展に出品され、最高位を獲得した作品《寒月》。雪の月夜、竹林のなかを月に照らされて一匹のキツネがそぞろ歩いている様子を描いた作品です。寒々とした冬の夜、キツネは何を考えているのか、その表情も合わせてぜひご覧ください。
寒月 大正元年(1912) 京都市美術館蔵(右隻)
寒月 大正元年(1912) 京都市美術館蔵(左隻)
次回は、この代表作《寒月》の2年前の第4回文展に櫻谷が出品した作品《かりくら》が発見され、どのような修復を経て約100年ぶりによみがえったのかをご紹介いたします!