【担当学芸員寄稿】川端龍子・堂本印象と金閣寺

【担当学芸員寄稿】川端龍子・堂本印象と金閣寺

「堂本印象美術館に川端龍子がやってくる―圧倒的迫力の日本画の世界―」担当学芸員の松尾敦子さんより、本展の見どころ解説を頂きました。
3回に分けてご紹介します。
(※本記事は京都新聞11月9日(土)夕刊 読者とつながる夕刊版からの再録です)


 

昭和25(1950)年7月2日未明に発生した金閣焼失事件に取材した「金閣炎上」は、大胆な着想による衝撃的一作である。
事件を翌日の新聞で知った龍子は、「絵になる」と直感して描いたという。
梅雨空に激しく燃え上がった当時の状況そのままに、明け方の暗い庭園を墨の濃淡であらわし、金閣を襲う朱色の炎との対比を際立させている。
さらに、ほとばしる金色の火の粉、銀色の雨など、画材の使い方も巧みで、あたかも事件を再現したかのような生々しさを伝える。

金閣焼失を別の視点で表現した画家もいた。
金閣をこよなく愛していた堂本印象である。金閣寺の近くに住んでいた印象は、火災にいち早く気がついたに違いない。
夜が明けると、スケッチブックを持って現場にかけつけ、変わり果てた金閣を心痛な思いで描きとめた。

国宝に指定されていた金閣の火災は、文化財保護の観点から大きな問題となり、京都市消防局は、同年10月1日からの一週間を国宝防災週間とした。
そのポスターを手がけたのが印象だ。
ポスターには、黒く焼け焦げて骨組みだけになった金閣と、それとは対照的に、いつもと変わらない裏山、池のさざ波、池畔の青々とした樹木が表現され、「再び金閣を焼くな」「国宝を大切に」という標語が添えられている。

龍子のように、火を直接に描かないのは、印象にとって金閣があまりにも身近な存在であった証といえよう。

 

寄稿:京都府立堂本印象美術館 松尾敦子学芸員


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