9月23日より龍谷大学 龍谷ミュージアムにて開幕する「地獄絵ワンダーランド」に関連して、本展へ出品をいただいており、また閻魔大王の右腕として活躍したといわれる小野篁が、地獄との行き来に使っていたといわれる井戸があるなど数多くの伝説が残る六道珍皇寺(京都市東山区)の坂井田良宏住職にお話をお聞きしました。
―小野篁が残した伝説―
ここ六道珍皇寺には篁が冥界への出入り口として使ったといわれる井戸が今も残っています。「珍皇寺参詣曼荼羅」(桃山時代)にも描かれ、中世の頃の六道まいりの様子を描いた絵とされていることから、室町時代頃にはそのような伝説が語られていたことが分かります。篁は毎夜、この井戸から冥土へ通い、閻魔大王の傍らで閻魔大王に助言をしていたのでしょうか。「今昔物語」にこのような伝説が残されています。
小野篁が隠岐国へ島流しになったときに、西三条の大臣であった藤原良相(よしみ)が親身になって助けてくれました。このことを篁は神通力で分かっており、恩義を感じていました。
ある日、良相は病気にかかり命を落とします。閻魔大王の前に連れてこられた良相がふと前を見ると、閻魔大王の冥官の中に篁がいます。篁は「この人は高潔な人物で、世の中に必要な人物なので蘇生をさせて欲しい」と閻魔大王に頼み込み、良相は特別に蘇ることを許されるのです。蘇った良相があるとき篁と二人きりの時にこのことを尋ねようとすると、篁から「二人だけの秘密にしておいて欲しい。決して口外しないように」と言われたそうです。しかしこれはおのずから世の人に知られ、大変おそれられる存在になったとのことです。
大江匡房「江談抄」では、藤原高藤が死に瀕したとき、「閻魔大王の隣に小野篁がいた」と語り、また舅の藤原三守も救うなど、蘇生譚は数多く残っており、冥土へ通える唯一の人物として世の人に畏怖されていたことがうかがえます。
篁自身も一度、臨死体験をしています。そのとき冥界で、地蔵に出会い、人々に救いの手を差し伸べ、また代わりに責めを受ける姿を見ました。そのとき地蔵菩薩に「救ってやるかわりに、地蔵信仰を広めて欲しい」と頼まれたことから、蘇生後、霊光を放つ木幡桜で6体の地蔵菩薩を彫り、地蔵信仰を広めたといわれています。
お地蔵さんと閻魔さんは表裏一体です。閻魔さんの怖い顔の裏はお地蔵さんのやさしい顔なのです。善人には非常に慈悲深い顔にも見えるのです。現在、我々のすぐ近くにおられて、人々の苦しみを包み込んで救ってくださり、また六道世界でも苦しむ人々の身代わりになってくださる有難い仏様、それはお地蔵様なのです。
―地獄絵を通して、こころと対話を―
龍谷大学 龍谷ミュージアムでは9月23日から特別展「地獄絵ワンダーランド」が開催されます。現代を生きる人には、家族や友人、ご近所さんなど本当の意味で頼れる人が少なくなってきていると感じています。どこかこころに空白を抱えた現代の人を救うのが地獄絵だと思います。
地獄は、邪見な人(因果を否定し、善悪のものさしを持っていない人)のこころに潜むものであり、誰しもがこころの中に持っています。仏のこころ、鬼のこころ、これらをどうコントロールするか。ぜひこの機会に自分のこころを投影するものとして地獄絵を見てみてください。問いかけてみてください。あなたのこころのありように・・・地獄、極楽の世界はどこにあるのかといえば、それは自分のこころの中に地獄も極楽もあることに気付くはずです。
地獄絵を見ながら、自身の「こころとの対話」をされてみてはいかがでしょうか。
<六道珍皇寺から出品される作品②>焰口餓鬼図 明時代 崇禎十六年(1643) |