「吉村芳生 超絶技巧を超えて」冨田章氏ギャラリートーク・後編

入口から続いたモノトーンの世界とは変わって、後半は色鉛筆による眩しいほど鮮やかな花の絵が並んでいます。
吉村は1985年に生まれ故郷である山口に引っ越しますが、少しスランプに陥っていたようです。
「これまで吉村は駐車場や路上など何でもない風景を描くことに意味を見出していました。それが田舎に移ってモチーフに苦しみ、描く気が起こらなかったようです」(冨田さん)

花のモチーフは、近くの休耕地に咲いていたコスモスに着想を得たといいますが、ほかにも理由があったのだとか。
「初めは小さい画面で、定職のない吉村にとっては商品にもなりました」
売り絵として展覧会に出品を繰り返すなか、自分の描くものは本当にこれでいいのか悩んだ吉村。2000年代以降、大きい画面に挑戦し始めます。

2004年、山口県美術展に出品された吉村の作品が審査員に大きな衝撃を与えました。
同展審査員の一人、椹木野衣氏は吉村を「六本木クロッシング」の出品者に選びます。
日本を代表する現代アートの展覧会に突如現れた吉村の作品は大変な話題を集め、当時会場を訪れた冨田さんも「がく然とした」といいます。
現代アートのフィールドで再評価され、最前線で活躍し始めた2013年に吉村は病気のため惜しまれつつこの世を去りました。

≪無数の輝く生命に捧ぐ≫(部分)2011-13、色鉛筆/紙
ところで、ポスターに登場する藤の花を描いた作品は、これまでと方向性が異なるといいます。
会場には作品の元となった写真も合わせて展示されていますが、前編のように写真をありのまま写すことはしていないのです。
背景を消して、花だけを残した意図について吉村は「震災で亡くなった人の命ひとつひとつを描きたかった」と話しています。

≪未知なる世界からの視点≫2010、色鉛筆/紙 ⒸYamamoto Tadasu
さらに、菜の花の作品は天地が逆だったり、タイトルにメッセージが込められているなど、晩年は「単にモノを写さず絵自体になにか意味を込めようとしていた」と冨田さんは考察しています。
作品の方向性の変化を気にしながらみるのも、回顧展ならではの楽しみ方ではないでしょうか。


「吉村芳生 超絶技巧を超えて」は6月2日まで美術館「えき」KYOTOで開催中です。