<展示作品紹介(4)>覚々斎手造 赤茶碗 団子の絵 流芳五十ノ内

特別展
家元に伝わる茶の湯の道具(五)

表千家歴代ゆかりの茶碗、服紗

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本展は、表千家歴代ゆかりの茶道具を展観するシリーズの第5弾。今回は「茶碗」「服紗」に焦点を当てご覧いただきます。
出品作品から、その見どころを一部ご紹介いたします。

 


覚々斎手造 赤茶碗 団子の絵
流芳五十ノ内

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六代覚々斎の手造りによる赤茶碗です。丸く内側へ抱え込むような形に特徴があり、無造作に白く串団子の絵が描かれています。全体的に柔らかな趣があり、手のひらを通して覚々斎その人のぬくもりが感じられるようです。

覚々斎は手造りの茶碗を多く残し、この茶碗は「流芳五十」と呼ばれる内の一つ。樂家六代の左入に焼かせた茶碗で、黒茶碗十五、赤茶碗三十五ができています。

 

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◆表千家六代 覚々斎
延宝6年(1678)~享保15年(1730)
号は原叟(げんそう)。久田家より五代随流斎の養子となって家元を継承。覚々斎が仕えた紀州藩主の徳川頼方は、徳川八代将軍吉宗となった。流芳五十の「流芳」は覚々斎の軒号。

◆樂家六代 左入
貞享2年(1685)~元文4年(1739)
樂家五代宗入の娘 妙修の婿養子となり、宝永5年(1708)六代吉左衞門を襲名、享保13年(1728)剃髪隠居して左入と号する。享保18年(1733)には赤黒二百碗の茶碗「左入二百」を制作するなど、隠居後も精力的に作陶を続けた。

◆「数ノ内」
何らかの記念や求めに応じて、あるいは引き立てのためなど、多数制作された茶道具の一つであることを表す。
覚々斎の時代には花入や茶杓、茶碗など「数」の道具がつくられるようになり、当時、茶の湯に親しみ学ぶ人が増大したことを物語っている。

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家元に代々伝わる貴重な茶道具の数々をぜひお見逃しなく!

 


 

特別展
家元に伝わる茶の湯の道具(五)
 表千家歴代ゆかりの茶碗、服紗

会期:2023年10月11日(水) ~ 12月13日(水)
会場:表千家北山会館