時を超えて・祇園祭2020

時を超えて・祇園祭2020

写真(上) photo=田口葉子

千百有余年の歴史を有し、日本の祭礼の原点と称される祇園祭は、山鉾町の町衆たちの努力と熱意によって、中断と再興を繰り返し今日まで受け継がれてきました。本来、疫病退散の祈りを込めた祇園祭ではありますが、今年はそのハイライトである「動く美術館」とも呼ばれる山鉾巡行が、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、前祭、後祭ともに中止されるという苦渋の決断がなされました。また近年、都市部の空洞化などが原因で、各町内の経済的・社会的基盤が弱まってきており、後継者不足の問題などから祭りの維持・継承が困難になりつつあります。京都の誇るべき文化資産である祇園祭を次代へつなぐために、私たち市民、社会、企業・団体が力を寄せ合って取り組む必要があります。京都新聞は今年も、祇園祭の継承と発展を提唱する「文化支援キャンペーン―時を超えて・祇園祭2020」を展開。祇園祭の支援に理解を持つ企業や団体の協力を得て、新聞紙面や事業を通して祭りの振興を呼び掛けていきます。

※本キャンペーン期間2020年7月1日~31日

祇園祭山鉾紹介
※2019年の巡行順

◆前祭巡行

・長刀鉾


 前祭巡行の先頭を行き、生稚児(いきちご)を乗せる唯一の鉾。鉾の舞台で披露される稚児舞と四条麩屋町での注連縄(しめなわ)切りが見もの。鉾頭の大長刀は御所と神社を避けて南を向く。

・蟷螂(とうろう)山


 御所車の上のからくり仕掛けで動くカマキリは愛嬌(あいきょう)たっぷり。首をかしげて手斧(おの)を振り、羽根を広げる姿は巡行の大スター。1864(元治元)年から117年間は巡行されていなかった。

・芦刈山


 謡曲「芦刈」より。芦を刈る翁(おきな)は運慶の流れをくむ康運の作。翁が着る重要文化財の旧衣装は山鉾の中では最も古い。山の正面 、側面に芦の造花が飾られる。

・木賊(とくさ)山


 世阿弥の謡曲「木賊」より採題。ご神体の翁は、わが子と生き別れた悲しみのうちに木賊を刈る。その物悲しい姿は桃山時代の名品といわれる。2019年、前懸「金地唐人市場交易図刺繍(きんじとうじんいちばこうえきずししゅう)」を新調。

・函谷(かんこ)鉾


 関所・函谷関で斉の孟嘗君(もうしょうくん)が家来に鶏の鳴声をまね開門させ難を逃れた故事から、鉾頭の山形と三日月は函谷関の山中の闇を表す。2019年、稚児人形嘉多丸君(かたまるぎみ)180年の節目。

・郭巨(かっきょ)山


 中国史話「二十四孝」の一つ、郭巨が金の釜を掘り当て、母親に孝行を尽くしたという故事に題を取る。ちまきには金運招福の小判が付く。欄縁下の乳隠しと日覆障子(ひおおいしょうじ)の屋根が特徴。

・綾傘鉾


 山鉾の古い形態を残す二つの大きな傘の形をした風流鉾が特徴。鬼形は太鼓に合わせて棒を振り回す「棒振り囃子」を披露。金烏帽子(えぼし)をかぶった6人の稚児も巡行に加わる。

・伯牙(はくが)山


 中国の琴の名手、伯牙が大切な理解者を失い、悲しみから琴の弦を断ち切ろうとする姿を表す。水引、胴掛、見送などの図柄はすべて中国風で統一。2019年、大口袴「紺地雲龍梅文様金襴(こんじうんりゅううめもんようきんらん)」を復元新調。

・菊水鉾


 鉾名は町内にあった名水「菊水井」に由来。菊の露を飲み長寿を保った菊慈童(じどう)を祭る。2016(平成28)年、胴掛「七福人図」四面が鉾再建60周年を祝い完成。

・油天神山


 正面に朱塗りの鳥居を立て菅原道真公の天神像を金色の社殿に安置する。胴掛は前田青邨(せいそん)の「紅白梅」の綴織(つづれおり)、水引は「貴婦人と一角獣」のモチーフから得たミルフルールが美しい。

・太子山

 ご神体は16歳の白装束姿の聖徳太子像。四天王寺の建立に関わった杣(そま)入りの逸話から、真木に杉を使用する唯一の山。2018年新調されたベトナム刺繍の胴掛と細工の秀麗な錺(かざり)金具類が見事。

・保昌(ほうしょう)山


 後に妻となる和泉式部のために、紫宸殿(ししんでん)に忍び入り紅梅を手に入れようと危険を冒す武将平井保昌の姿を表す。胴掛の刺繍は円山応挙の下絵。宵山には縁結びのお守りが出される。

・鶏鉾


 堯(ぎょう)の時代、訴訟に用いる太鼓に鶏が巣を作るほど平和な世が続いた故事にちなむ。16世紀ベルギー製の見送は重要文化財。2017年前、天水引「金地日輪瑞雲麒麟図(にちりんずいうんきりんず)刺繍」を新調。

・白楽天山


 唐の詩人、白楽天と道林禅師が仏法の大意を巡り問答する姿を再現。見ものは各国の織物で、前掛は16世紀ベルギー製、見送は「手織錦万寿山之図(ておりにしきまんじゅさんのず)」。

・四条傘鉾


 歴史は古く、始まりは応仁の乱以前にさかのぼる。赤幣(せきへい)と若松を載せた傘そのものがご神体。色あでやかな衣装をまとった地域の小学生が踊り方として巡行に参加。

・孟宗(もうそう)山


 大陸の呉の国の史話から、病身の母のために、雪の中から掘り当てた筍(たけのこ)を喜々として持ち帰る孟宗の姿を表す。見送は「孟宗竹藪林図(もうそうたけそうりんず)」(竹内栖鳳(せいほう)複製原画)。

・月鉾


 重量・高さともに全山鉾一。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の右目から生まれた月読尊(つきよみのみこと)を祭る。町衆の努力により二度の大火を免れ、失われたのは真木1本のみ。

・山伏山


 山伏の姿をしたご神体は、傾いた塔を祈祷(きとう)で戻した浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)を表している。2019年、水引「養蚕機織図綴錦(ようさんはたおりずつづれにしき)」と二番水引「草花文様(くさばなもんよう)刺繍」(町会所で展示のみ)を新調。

・占出(うらで)山


 別名「鮎(あゆ)釣山」は身重の神功(じんぐう)皇后をご神体とし、安産のお守りと腹帯を授与。安産のお礼に奉納された衣装には名品が多い。前掛・胴掛は日本三景の綴織で、水引「三十六歌仙図」は総刺繍。

・霰(あられ)天神山


 永正年間の大火の際、霰とともに一寸二分の天神さまが舞い降り、鎮火したという故事に由来する。今も天神像をご神体にし、中央に唐破風春日造の神殿を安置。「火除天神山」とも呼ばれる。

・放下(ほうか)鉾


 街角で芸を披露しながら仏法を説く「放下僧」を祭る。2019年は二番水引「緋羅紗地牡丹兎文金糸(ひらしゃじぼたんうさぎもんきんし)刺繍」、三番水引「紺地青海波鴛鴦文様錦織(こんじせいかいはおしどりもんようにしきおり)」を新調。

・岩戸山


 「国生み」「天の岩戸」と二つの記紀神話を題材としたもので、伊裝諾尊、天照大神(あまてらすおおみかみ)、手力雄尊(たぢからおのみこと)を祭る。鉾と同じく祇園囃子を奏する曳山。屋根の上には伊裝諾尊が立っている。

・船鉾


 船形は神功皇后の神話に由来。皇后の神像には岩田帯が巻かれ、巡行後、妊婦に授与。2019年、艫櫓(ともやぐら)下水引「緋羅紗地鳳凰麒麟瑞雲文様(ひらしゃじほうおうきりんずいうんもんよう)刺繍」を新調。

 

◆後祭巡行

・橋弁慶山


 五条大橋で弁慶と刀を交える牛若丸。橋の擬宝珠(ぎぼし)に足駄(あしだ)の前歯だけで立つ名場面を再現している。2019年、胴掛は円山応挙下絵の「加茂祭礼行列図綴錦」を新調。古来くじ取らずで、後祭巡行の先頭を行く。

・北観音山


 町文書に1353(文和2)年の創建と伝える曳山で、楊柳(ようりゅう)観音と韋駄天(いだてん)を祭る。天水引は雲龍図と金地唐草を隔年で使用する。百子図綴織の見送は優品。

・鯉(こい)山


 竜門の滝を登りきった鯉は竜になるという中国の「登竜門」伝説に取材、左甚五郎作と伝わる鯉は立身出世を象徴。16世紀ベルギー作のタペストリーは国の重要文化財。

・八幡山


 地元・三条町に祭られる八幡宮を勧請(かんじょう)して巡行する。左甚五郎作といわれる木彫りの鳩(はと)が鳥居で向かい合い、夫婦円満のしるしとされる。社殿は総金箔(きんぱく)で豪華そのもの。

・黒主(くろぬし)山


 謡曲「志賀」にちなむ。大伴(おおともの)黒主が大きく反って志賀の山桜を仰ぐ姿を再現。ちまきに桜を添え、欄縁の飾り金具には桜、椿、紅葉、菊が彫られるなど、装飾品は花との縁が深い。

・南観音山


 本尊は楊柳観音座像と脇侍の善財童子(ぜんざいどうじ)。山の後部の柳の太枝は疫病を防ぐといわれる。見送には加山又造の「龍王渡海図」を使用。旧前掛の異无須織(いむすおり)の絨毯(じゅうたん)など貴重なものを多く保存。

・役行者(えんのぎょうじゃ)山


 役行者が一言主神(ひとことぬしのかみ)を使い、葛城と大峰の間に橋を架けたという故事にちなみ、修験道の祖・役行者、一言主神、葛城神と3体のご神体を安置。水引「唐子遊図(からこあそびず)」は綴織の名手・西山勘七作。

・浄妙(じょうみょう)山


 「平家物語」の合戦の一場面を大胆に活写。一来(いちらい)法師が筒井浄妙に先んじようとする一瞬が自然木を使った人形で見事に表現される。橋桁に突き刺さる矢まで生々しい。

・鈴鹿山


 大長刀と中啓(ちゅうけい)を手に鈴鹿峠の悪鬼を退治した瀬織津姫命(せおりつひめみこと)がご神体で、等身大の女人の姿でご神面を付けている。真松には山鉾で唯一絵馬が付けられ、盗難よけの護符として珍重されている。

・鷹山


 ご神体は鷹遣(たかつかい)、犬遣(いぬつかい)、樽負(たるおい)の御三方。1826(文政9)年の巡行中に風雨で懸装品を損傷し、「休み山」となったが、2022年の巡行復帰に先だち、2019年から唐櫃巡行を実施。

・大船鉾


 神功皇后が凱旋(がいせん)した船に由来する船形の鉾。幕末に焼失したが2014(平成26)年、150年ぶりに巡行復帰した。2019年、「跳(はね)高欄」「艫高欄」の朱塗りが完成。

 

photo=中田昭/田口葉子
文責=京都新聞COM営業部