第二章より~旭焼(あさひやき)「釉下彩装飾タイル」(日本化学会認定化学遺産)

第二章より~旭焼(あさひやき)「釉下彩装飾タイル」(日本化学会認定化学遺産)

ギャラリー1の中ほどにいっそう目を引く、鮮やかな日本画。

桃の花、しだれ桜、花菖蒲、紫木蓮、菊花などの美しい花々-。
実は、これが全て旭焼のタイルなのです。
西洋建築のための暖炉装飾用タイルとして制作されたと伝わります。

旭焼は、「日本近代窯業の父」とも呼ばれるドイツ人技師ゴットフリート・ワグネル(1831-92)が中心となって、1881(明治14)年から大学南校(現:東京大学)内の化学研究室で研究を始めたやきものです。後にワグネルが東京職工学校(現:東京工業大学)に赴任したことから、同校に設備を移して制作されました。

旭焼には、明治以降にヨーロッパからもたらされた最新の化学技術が使われています。
そのひとつは釉下彩(ゆうかさい)です。

釉下彩とは.....
釉薬(ゆうやく/うわぐすり)の下に絵付けをほどこす技法で、当時より技術的には難しいといわれる技法でした。明治以降にヨーロッパからもたらされた「洋絵の具」を使って描かれています。洋絵具は「和絵の具」と比較すると焼く前と焼いた後の色変化がほとんどなく、色数も豊富、濃淡表現も可能という特徴を持ちます。

ワグネルは、旭焼を海外にも通用する高い芸術性を持ったやきものとするべく、日本画の美しさをそのまま陶器の上に現そうとしました。
図案や絵付けは狩野派の日本画家・荒木探令(たんれい)や春名繁春(はるなしげはる)らがあたり、釉下彩を駆使して日本画の運筆(うんぴつ)もそのままに、絵具の濃淡表現も日本画の雰囲気を損なうことなく仕上げられました。多くの画題は花鳥風月の世界であり、最も好まれたのは四季折々の美しい花の画題であったようです。

1890(明治23)年には、渋沢栄一(1840-1931)らの出資により結成された「旭焼組合」が母体となって東京深川区東元町(現:東京都江東区森下)に「旭焼製造場」が設立されました。ワグネルの没後も製造を続けましたが、残念ながら1896(同26)年に閉鎖しました。

旭焼は日本陶磁史上でも、化学史上でも貴重な資料であるといえるでしょう。


一面にずらりと並ぶその姿は圧巻!ぜひ実際にご覧ください!!